SSブログ

 ご存じの通り、夢は、自分ではコントロールできない。
 ただし、夢にも浅い夢と深い夢があって、浅い夢のほうはある程度コントロールできるので、寝るときにはかならず亡妻のことを考えるようにしている。夢に出てきてほしいからだ。でも、なかなかあらわれてくれない。
 それが、昨夜は久しぶりに出てきてくれた。病魔に冒される前の美しい妻が。
 ふたりで、どこか外国のホテルにいた。私は夢の中でも、それが夢であることを知っていて、妻に、「病気が治ったらこんな暮らしをしていたんだろうな、というような、可能性としての未来を、こんなふうに夢の中で生きられたらいいね」と言った。
 妻は黙っていた。
 長時間ふたりでしゃべっていたような気がするが、たまたま明け方に目を覚まし、夢を見る前に時計を見て、見た後にも時計をみたので、ほんの5分間にすぎなかったことを知った。
 
 フロイトの夢理論を解説するつもりはないが、夢はストーリーになっているが、夢をストーリーに組み立てるのは覚醒した瞬間の「二次加工」であって、夢はストーリーとして展開するわけではない。たぶん100個くらいのモニタを同時に眺めているような、そんな感じだろう。だから一瞬でも、長編映画くらいの長さの夢が見られるのである。
 
 眼が覚めたら枕がびっしょり濡れていた。悲しいから泣いたのではなく、うれしくて泣いていたのだ。

nice!(1) 

nice! 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。