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白子と米の話

 最近は写真を撮って飯テロを実行する気力がないのだが、昨夜は牡蠣と白子のひとり鍋。「一人鍋」と書けばふつうだが、「独り鍋」と書くと侘しいね。「孤独鍋」
 むろん世の中には、昔からずっと独身という人だって少なくないでしょうが、ずっと独りよりも突然独りになるほうがちょっと辛い。まだ慣れてないということでしょうが。
 でも、もう半年経ったんだなあ。時間が経つのは早い。あっという間に10年くらい経ってくれるといいなあ。
  
 白子といえば、子どもの頃、母はたいてい踊りの出稽古に出かけていて、祖母と私と妹の3人で食卓を囲むことが多かったが、祖母の好物だったのか、よく白子の吸い物が出た。貧しい時代のことゆえ、スケソウダラの白子だったから、堅くてうまくない。白子はマダラに限る。
 
 そういえば、先日、今年初めてふぐの白子を塩焼きで食べた。『送り人』にも出てくるが、この世でもっとも美味なもののひとつだろう。でも、人生最後にふぐの白子が食べたいかというと、なんだかちょっと生臭い感じがする。
 
 元フランス大統領のミッテランがこの世の最後に食べたのはオルトランだった。
「オルトランはホオジロの一種で、大きさは雀くらい。それを生け捕りにして、両眼をつぶし、窓のない箱に入れ、イチジクを食べさせ、4倍まで無理やり肥らせてから、ブランディーのなかに生きたまま入れて、溺れ死にさせる。死んだら羽根をむしり、ローストして、まるごろ食卓に出す。それを、頭だけは口から出して、肉も内臓も骨もむしゃむしゃ食べるのである。あまりに残酷なので、食べる人もこの野蛮な行為を隠そうと、ふだんはよだれかけみたいにクビからさげているナプキンを頭巾のように頭からかぶって、この恥ずべき行為を一目からだけでなく、神の眼からも隠そうとするのだ」(スミス『ソクラテスと朝食を』鈴木晶訳)
 
 溺れ死にさせるというと、酔蟹というのも、この世でもっとも旨いもののひとつだろう。生の蟹の紹興酒漬けである。先日、韓国のカンジャンケジャンを食べたが、やはり中国のほうが旨いように思われるが、どうだろうか。
   
 きょうは、親類から送られてきた魚沼産こしひかりを炊こう。じつは私は、白米よりも玄米、胚芽米、雑穀米のほうが好きで、混ぜご飯も好きなのだが、もちろん魚沼産こしひかりのおいしさがわからないほど野暮ではない。

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