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妻への手紙(1)

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8月2日
  
 あれこれ一段落したので、4ヶ月ぶりに鎌倉に帰ってきたよ。
 

「灰島かりを偲ぶ会」は、出席者のみなさんから「心に残るいい会だった」と言ってもらえたよ。
 霊能者のHさんが「見えませんか。貴志子さんはずっと晶さんと碧ちゃんの間にいますよ。私にはすごくよく見えます」と言っていたよ。
 四十九日の法要、納骨も無事に終えたよ。住職はその2日前にわざわざ図書館に行って、きみの書いた本や訳した本をあれこれ読んで下さったそうだよ。いい住職でよかったね。「かり」という前代未聞の戒名を付けて下さったし。
 
 きみが入院しているときから、週に一度は鎌倉に帰っていたけど、渋滞を避けるため、いつも早朝に東京を出て、昼には東京に帰っていたから、いつも家じゅうの鎧戸を全部開けて風を通すだけだった。久しぶりに帰ってみたら、家じゅうカビだらけ。家中掃除するのにまる二日かかった。
 じつは先週来たとき、家全体が虫の巣窟になっているような気がして、バルサンを6個仕掛けた。ムカデ除けの薬もまいた。
 昨日はまず裏門から勝手口までの通路の草刈をした。草ぼうぼうで、このままじゃヤマトのお兄さんにわるいからね。寝室と書斎を掃除したところで、昨日はダウン。きょうはお手伝いさんにも手伝ってもらって、なんとか家全体をきれいにした。これで住める。
  
 花がたくさん届いた。
 うちにはいつでも花があったね。きみは買い物に行くと、かならず花を買って、絶やさないようにしてくれていた。
 きみは本当に日常生活を大切にしていた。余命半年とわかったとき、きみに何がしたいかと訊いたら、「ふつうの生活を続けたい」と答えた。
 
 昨日の早朝に着いてから今日までずっと泣いている。まる一日以上ずっと、だよ。ティッシュを一箱使っちゃったよ。蛇口のパッキングが古くなって、ぽたぽた水が漏れ続けるみたいなもんで、どうも涙腺の栓がこわれちゃったらしい。
 そりゃそうだよね、25年間いっしょに暮らした家だもの。隅から隅まで思い出で一杯。高橋たか子さんが学生時代の友人の黒川紀章氏に頼んで設計してもらったこの家に、高橋さん自身は数年しか住まなかった。私たちは25年も住んだ。まるで高橋さんが私たち夫婦のために建ててくれたみたいだ。
 君の写真の横に、高橋さんの写真。これからこの2人の女性が私を守ってくれるんだろうか。それとも重くのしかかってくるのかなあ。守護神が2人いると思いたい。
 
 家の中を見渡して、何を見ても涙が出てきちゃう。台所でなにか作ろうと思って、菜箸をみたら、先が黒く焦げている。懐かしい。
 若い頃、私がトマトの湯むきをしていると、「トマトは皮に栄養があるんだよ」と文句をいっていた君が、胃の手術後はトマトの皮が食べられなくなって、いつもトマトをガスであぶって皮を剥いていた。だからうちの菜箸は全部先が黒焦げになっている。それを見たらもう涙が止まらなくて・・・
 
 胃の手術の後、予防のために抗がん剤を飲み始めたけど、きみはすぐに気持ちがわるくなって、1週間でやめてしまった。20%の人にしか効かないってこともあったしね。そのとき、「私が栄養たっぷりの手料理でガンを退治してやる」と言ったら、きみはぺこんと頭を下げて、「よろしくお願いします」って言った。でも結局、退治してやれなかった。ごめんね。
 
 きょうは朝から、君の「わ〜い」が耳について離れない。「夕食は何?」と訊かれて、君の好物のサヨリの刺身だ」と答えると、本当にうれしそうに、子どもみたいに「わ〜い」と言ったね。
 入院してからも、鮨屋で鮨を握ってもらって、病室にもっていき、「鮨をもってきたよ」というと、「わ〜い」と言った。でも入院してからは、その言葉にも、もう力がなかった。 


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