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早期発見(続き)

 今年の2月、首が痛いと言い出した。CTを撮ったところ、脊椎に転移していることがわかった。転移が進むと、転んだりしたときに骨にひびが入る可能性があると言われ、骨を強化するために放射線を当てることになった。
 
 そこで、鹿児島の植松先生のところに行くことにした。樹木希林の癌が治ったことで一躍有名になった放射線治療医である。じつは以前、一度、植松先生には電話で相談したことがあったが、妻の癌は治療できないとはっきり言われた。放射線は固形癌にしか効かないのである。
 ふつうならば、この医院は一年半待ちだそうであるが、知り合いの紹介で、すぐに診て下さることになり、鹿児島に飛んだ。そして診察後、ただちに入院することになった。
 治療は1ヶ月くらいかかると言われた。ホテルに滞在して外食するのも、ウィークリーマンションを借りて自炊するのも大変なので、病院に入れてもらうことにした。
 結局、3週間後、妻はもうこれ以上ここにいるのは堪えられないと言いだし、治療を切り上げて、鎌倉に帰ってきた。
 放射線投射が功を奏したのかどうか、それはわからないが、骨にひびが入ることはなかった。
 
 だが、痛み止め(医療用麻薬)のせいもあって、夜中にトイレに行くときに転び、激痛に襲われ、すぐに聖路加病院でレントゲンを撮ったところ、どうやら肋骨にひびが入ったらしいとのことで、すぐに入院することになった。これが2週間。このときは退院することができた。
 
 鎌倉から聖路加に通院するには車で一時間かかる。それよりも、4月になって私の大学が始まったら、何しろ往復4時間かかるので、妻をほとんど一日じゅう独りにしておくことになってしまう。
 そこで、月島に仮住まいすることに決めた。月島には娘が保育園〜幼稚園時代に3年ほど住んでいた。その後、賃貸に出していたのだが、最後のテナントが昨年引っ越した。予感がした、というのだろうか、とりあえず貸さないことにした。

 妻が鹿児島に行っている間、私は何度も鹿児島と鎌倉を往復する一方で、ローラ・アシュレイと大塚家具とビックカメラで、テーブル、ベッド、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなどを買い込み、近所のインテリアショップでカーテンをオーダーし、なんとか住めるようにした。
 頻繁に鎌倉と月島を往復して、食器などを運び(結局、引っ越し屋には一度も頼まなかった)、さらには日曜大工でいくつかの家具をつくった。それまで家のインテリアはすべて妻に任せていたので、ずいぶん苦労した。妻も、病気のせいで自分があれこれ買い物ができないことを嘆いていた。
 でもいま思うと、鹿児島でいっしょにいてやればよかった。ウィークリーマンションを借りて、毎日手料理を食べさせてやればよかった。激しく後悔している。
 
 妻は月島があまり好きではなかった。お嬢様育ちの妻は下町があまり好きではなかったのだ。私も下町は好きではない。
 
 ゴールデンウィークは鎌倉で過ごしたいというので、一週間鎌倉に戻った。最近、大学はゴールデンウィークも授業があるので、私は鎌倉から通った。これが妻にとっては鎌倉で過ごした最後の一週間だった。
 
 月島に戻って、訪問看護、ヘルパーなどを手配し、車椅子も借りたが、しばらくしたころ、もう在宅看護は無理という判断がくだり、最後の入院となった。「退院のない」入院であることは、妻も私も覚悟していた。
 モルヒネを使えば楽になるんだろうと思っていた。だがそうではなかった。たしかに痛みはまったくなかったが、息苦しさ(呼吸困難)は最後までとれなかった。これがいちばん可哀想だった。

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