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風立ちぬ

 例によって、「あまちゃん」を見てから、海に行く。
 きょうは、最初にうちは風もなく、絶望的かと思われたが、途中からなかなかいい波が出てきて、けっこう楽しめる。この夏のベスト2である。
 家に帰って、そうめんを食べ、すいかを食べてから、仕事に出かける。
 
 帰りに横浜でかみさんと待ち合わせて、天ぷらを食べてから、ふたりで『風立ちぬ』を観に行く。私はめったに映画館というものにいかない。半年遅れ、一年遅れを我慢して、ビデオで観る。ただ宮崎駿だけが例外で、封切られるとかならず行く。
 最近の映画館はきれいでよい。子どもころ、家の近くにあった映画館は汚くて、トイレの臭いが強烈だった。
 おまけにシニア夫婦割引で、ふたりで2000円である。
 
 第一印象。子どもはこれを観てもまったく面白くないだろうなあ。いや、20代、30代でもどうだろうか。きみたちは零戦のゼロの意味も知らないであろう。おたくは別として。旧日本軍の戦闘機、飛燕とか、隼とか、零戦と同じ堀越二郎の設計した雷電とか、いくつ言える?
 そう、まずこの映画は「おたく」礼讃である。宮崎自身を含め、「おたくの何がわるい?」と居直っている。それにしても、本当にこの人はプロペラ飛行機が好きなんだなあ。
 宮崎自身が述べているように、強い美少女は、妹に若干の名残が見えるけれど、姿を消した。女の子、あるいは若い女性は、ひたすら弱く、美しい。菜穂子は死ぬ前に、象や猫と同じく、自分の死姿を見せないために、療養所に戻っていく。
 禁煙学会というのがあるそうで、その学会が宮崎に抗議したそうだ。喫煙の場面が多すぎる、と。たしかに、私もまた、映画が終わった後、一服したくなった。かみさんといっしょでなければ、一杯やりながら、一服楽しんだかもしれない。
 宮崎自身はたぶんタバコは吸わないだろう。でも、彼にはどうしても喫煙場面が必要だったのだろう。それは「失われた時代」を描くためである。
 この映画は強烈なノスタルジー、懐古趣味に貫かれている。それは宮崎自身の記憶から来たものではない。ユング流にいえば、集合的無意識に由来するノスタルジーである。私たちは、私たちの生まれる前の時代をなつかしむ。
 それは一言でいってしまえば、「のどかな時代」である。
 直接、戦争はまったく描かれない。描く必要などなかったのである。あの美しい、のどかな時代を破壊してしまったもの、それが戦争である。描かずとも、ちゃんと描かれている。そしてその戦争は、原発へと直線的につながっている。

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