ディアギレフ・フェスティバル
15日から、「ディアギレフ・フェスティバル」のために、ロシアのサンクトペテルブルクに来ている。先週は天気が良かったらしいのだが、私が来てからはほとんど雨。しかも、寒い。
←プーシキンの頭に鳩が・・・
ロシアは6回目だが、ちょうど白夜だった2回目を除いて、あとはいつも冬だったから、ロシアの寒さはだいたいわかっているつもりだが、今回はまだ10月だというので、いささか油断して、防寒用完全装備をしてこなかったし、またロシアのほうでもまだ本格的冬ではないというので、暖房も中途半端である。冬は、屋内はどこもぽかぽかでTシャツ1枚でいられるくらいなのだが(いささか暑すぎる嫌いはあるが)、いまはまだそこまで暖房が入っていない。いまどきはロシアの冬でも毛皮の外套を着ている人は年寄りだけで、ダウンコート全盛であるが、今の時期はまだ「中くらい」のダウンジャケットを着ている。でも多くの人が帽子をかぶっている。そう、帽子を忘れた。
旅行中に一番困るのは雨雪嵐である。足止めを食ってしまうだけでなく、気分が沈んでしまう。
何度も書いているが、今年はディアギレフのバレエ・リュス立ち上げ100周年にあたる。100年に1度しかない催しにサバティカルがあたるというのは幸運中の幸運といわねばなるまい。私はあれこれいろんなことをしているが、どの分野で日本の第一人者かといわれれば、それはバレエ・リュス研究の分野である。ただし第一人者といっても、バレエ・リュスの研究をしている学者なんて他に見あたらないから、第一人者であると同時に、ひとりしかいないという意味で「一人者」である。
←若きバランシン
バレエ・リュスとはフランス語で「ロシア・バレエ団」という意味だが、ロシアでは1度も公演しなかった。このバレエ団にいたダンサーとスタッフのほとんどは亡命者だったのである。団長のディアギレフも、ニジンスキーも、ある時期からは1度もロシアに帰らないまま、世を去った。
だからバレエ・リュスの資料は、その名とは裏腹に、ロシアにはほとんどない。それでもディアギレフ・フェスティバルなるものが開かれることになったのは、ロシア・バレエ団の100周年にロシアで何もやらないわけにはいかぬ、本家の名が廃る、とロシアのバレエ史研究者たちが思ったからであろう。
とはいえ、バレエ・リュスそのものの資料はほとんどないので、バレエ・リュスのルーツ、出自がテーマとなる。分野からいうと、主に美術である。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ロシアでは舞台美術に大きな革新があり、バレエ・リュスはその流れを引いているのである。
というわけで、すでに2つの美術館をまわった。あと2つ観なくてはいけないのだが、きょうは本降りなので、ホテルの部屋にこもって仕事をしているのであった。